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【風のたより(5)】 by 銀の星
・番外〜第25回追記まで('05/03/08〜05/08/26)

第25回追記(2005/08/26)

 駒苫バンザ〜イ!と喜んだのが、つい昨日のことのようです。でもハイな状態は、3日と続きませんでした。何と優勝からたった2日後に、暴力事件の発覚。しかも優勝記録をこのまま認められるかどうかさえ、今となってはあやしい始末。ホント、フィーバーも一挙にさめました(泣)。

 今考えてみると、確かに、香田さんのもの言いは、連覇の勢いに乗っている監督としては妙に謙虚すぎたんですよね。1つ勝ち、2つ勝ちしても「あくまで北国からのチャレンジャーですから…」の一点張りで。でも要するに、あの時はすでに、背後ではかなり難しい状況になりつつあるのを知っていて、とても気分を高揚させる気にはならなかったんでしょうね。

 でも、せいぜい準々決勝とか準決勝進出くらいで終わったとなれば、後で事態が発覚しても、“すみません”と自分や校長先生が頭を下げれば、何とかことは済むと思っていたんでしょうけれど(それも甘い考えですけど)
 それが、思いがけず選手たちがすごい力を出してしまって、ついには優勝までしてしまって、とんでもない展開に、香田監督、頭が真っ白になってしまったんでしょう。それが、多分、あの優勝インタビューで、目がさまよって半ば放心状態だったことの本当の理由だったんでしょうね。まあ、さすがに、いくらまだばれていないからといって、図々しく“わたしの采配勝ち”式に誇っても見せられなかった、というところが、正直といえば正直な点だったのでしょうけれど…。
(一方、選手たちの方は、まだあの瞬間には勝った事自体が無性に嬉しくて、まさかこのあと事態が急転直下するなんて、思ってもみなかったに違いありません。)

 もし6月の事件があった時点ですぐに高野連に報告していたら、おそらく処分は問題の部長の謹慎程度。大会出場には差し支えなかったでしょうし、第2の事件も起こらなかったはず。ということは、やはり、監督以下スタッフも、選手たちも、どこかで、悪い事・嫌な事は目にしていても無かったことにしたいという、虫のいい考えを持ってしまっていたのでしょうね。なまじ、去年の喜びと周りの賞賛とがすごかったから…。まあ、今後は、どんな処分が下ったとしても、これも天か仏さんかの罰(ばち)だと思って(特に駒沢は仏教系ですし)、甘んじて受け入れるしかないでしょうね。
 ただ、試合で勝ち抜いた事だけは、まぎれもない事実なんですから。それを忘れずに、頑張れ駒苫!



第25回(2005/08/21)

 うれしかった〜!何?って、それはもう、駒大苫小牧の優勝!去年に続いての出場、というだけでも良かったと思っていたのに、また優勝、しかも連覇は57年ぶり!この心おどる感じというのは、言葉ではなかなか言いあらわせません!

 思えば、高校野球が好きで見るようになってから○十年余。でも、以前の北海道代表というのは、とにかく甲子園では弱かった。わりにクジ運はいいほうで、初戦は、よく、強くない地方の初出場校なんかに当たっていたにもかかわらず、なぜだかフォアボール、デッドボール続出。ピッチャーが自分でピンチを招いて苦しんで、そのうちに守備まで乱れて、いつのまにか自滅…というのがおおよそのパターンでした。道内では向かうところ敵なしの〈強豪〉チームも、どこが出ていっても、甲子園ではあんまり不甲斐ない負け方をするので、ホント、典型的な内弁慶だ!と腹を立てていたものです。

 そんなふうに、いつも地元が真っ先に姿を消すおかげで、全国の色々なチームの試合をけっこう丁寧に見る、という悲しいくせがついてしまった……(T_T)。いや、結果的には、私にとってはそれが良かったのかもしれませんけれど、それにしてもあの北海道代表の試合を見るときの悲哀感といったら、何とも言えないものでした。

 それが、平成5年のセンバツで、駒大岩見沢が思いがけなくトントンと勝ち進んで〈ヒグマ打線〉と呼ばれるようになって、思えば、あれがやはり大きな転機だったんですね。北海道各地の学校が“とにかく、駒岩(こまいわ)と勝負できるレベルになれば、全国にだって充分通用するんだ”と自信を持てるようになったらしく、あれからは、どこが出てもそんなに萎縮したような試合はしなくなりましたし。そして、中でも特に駒岩を身近なライバルとして頑張っていたのが、駒大苫小牧だったのでしょう。本当に、一度大きな壁が突破できてしまえば、その後からの積み重ねで、状況って一変するものなんですね。

 それに、「勝因?わかりません…」と視線をさまよわせてぼぉっとしていた香田監督とか、「どうぞ、勝利の雄叫びを!」とアナウンサーに言われて、え?雄叫びって?何を言ったらいいんだ…?という感じでふた呼吸も三呼吸も間をおいていた林キャプテンとか、正直な人が多いのが、駒苫のいいところ。一緒に観戦していた職場の人たちも、このインタビューを見て、「かわいー♪」「なんか好感もてるね〜」と口々に言っていました。いつまでもこのフィーリング、忘れないでくださいね。おめでとう駒苫!



第24回(2005/07/12)

 今回は、「木精の歌(その4)」が書き上がったばかりで、なんとなく感傷的な気分になっていますので、ごく簡単に、最近あったことを1つばかり。

 6月のおわりの、あるお昼過ぎのこと。いつもは弁当派(家からの)の私ですが、その日は外で食べなければならないことになりました。何を食べようかな、と考えて、ふっと思いついたのが、その日閉店するラーメン屋さんの話。珍しい〈根室ラーメン〉のお店だったのですが、リニューアルのため、別のお店に場所をバトンタッチするのだとか。(そうそう、まだ食べたことがなかったっけ…)と、いつもは行かないそんな所まで、足をのばす気になったのです。

 すると、何と!店に入ってしまってから気がついたのですが、そこにはローカルTV局の取材陣が。しかも、ちゃんとレポーターさんまでいて、お客さんにマイクを向けています。
 もちろん、今まで、TV局の取材というものを全然見たことがないわけではありません。でも、ほとんどは、カメラマンが〈絵〉を撮っているだけ、というところばかりでした。そばを、音声係らしき人が1人2人、退屈そうについて歩いたりして…。
 ところが今回は、しっかりと取材もしているし、そばでカメラも回しています。何せ、狭いお店ですから、いくら自分が取材されているわけではなくても、姿は映り込んでしまっているおそれがあります。ただ、レポーターがモニターでスタジオと応答しているわけではないので、どうやらライブでないらしい事は救いですが…。

 というわけで、食べている間じゅう、変なしぐさをしたり、くしゃみをしたりしないように、緊張のし続け。おかげで、〈麺(めん)は細めん〉だった事と、〈思ったよりスープがこってりしていた〉という事くらいしか、味の印象がありません。具を味わう余裕もなし。なんだかメンがのどにつまりそうな感じでしたが、かといってムセるわけにもいかず、必死で、なんとかごく自然に見えるように食べ続けました。ああ、〈名店〉と呼ばれる店に、それも開店とか閉店とかいった特別な日になんか、行くもんじゃありませんね。(T_T)

 しかも、店を出てからすぐに家に電話をかけて、一応、その局の番組をずっと夕方まで(私の帰宅まで)見続けてもらったのですが、私の映り込んでいるようなシーンはなかったのこと。まあ、たいがいは、そんなもんですよね。



第23回(2005/06/10)

 今回のたよりは本当の〈風のたより〉、ここ一と月ほどの近況のみ。

〔その1〕野球観戦に行ってきました!

 きっかけは、職場の新入歓迎会でした。飲んでいる時、何となく若い女の子たちの方でもりあがっていた「野球観戦いきたいね〜」という話。いつしかその場で、「○○さんも行きません?」「▲▲さんも一緒に〜」と声がけが始まり、とにかく近いうちに必ず、行ける人だけでも集まっていきましょう、というところまでまとまりました。応援するのは、言わずと知れたファイターズ!だって道民ですもん(^-^)と、……まあほとんどの人はそうだったんですが、ただ一人、ながらく巨人ファンだった課長のみは、「どこ応援するの…ふぅ〜ん…ファイターズ?…ブツブツ」と、ひとしきり屈折しておりました。(結局一緒には行きましたが。)

 かく言う私も、もともと野球はきらいじゃない。昔から、よく高校野球はテレビで見ていますし、以前一度だけ、ドジャースタジアムで、ドジャーズVSダイヤモンドバックス戦を見たこともある(これはチョッとジマン。残念ながら、野茂もランディも登板しなかったのですが)。
 ただ、日本では出不精をしていて、なかなか球場に足をはこぶ事はありませんでした。それでも、ファイターズが北海道に来ると決まった年の、日ハム─巨人のオープン戦は珍しく見に出かけました。
 でも、あの時はさびしかった。ファイターズを一生懸命応援しているのは、一握りほどの〈応援団〉だけ。観客は少ないし、お客が密集しているのは巨人側ばかりだし、歓声は巨人のプレイの時しか沸かないし…。正直、これで日ハムはやっていけるんだろうか?と心配していたくらいです。

 もちろん、幸いあれから、新庄が入団してくれて、すごい新庄フィーバーが来たので、今は前とは全然ちがうと知ってはいましたが……。それでも今回、実際に見るまでは、本当はどこまで日ハム応援がもりあがっているのか、いちまつの不安もあったのです。

 ところが!さすがにすごい。観戦したのは、日ハム─中日の交流戦。空席はあるものの、3塁側はけっこうなお客の入りで、まとまって行った私たちは、ならんで空いた席を探し回るのも一苦労でした。

 前半戦で4点とられ、しかしその後はなんとか得点もできて、いいゲームしてるな〜…と思っていたら、頑張っているのは下位打者ばかりで、小笠原は打てない、新庄は打てない。ピッチャーは目まぐるしく何人も継投。そして、ついに相手には連打が出始める。これではファンも、さぞやイライラし、ヤジでも飛び出すかと思いきや…。

 いかにも応援慣れした感じの男性陣の、迫力ある歌声にまじって、うら若い女性の、「タテヤマ〜〜っ!頑張って〜〜〜!」の声。これは、私の同僚ではありません。ずっと、頭の上の方から聞こえてきます。また、別のほうから、これも女性で、「みんな、味方だよ〜〜〜っ!」という、哀切な声が…。
 おお〜っ!まるで青春ドラマ!と感動していると、すかさずそばから「そぉだぁ〜〜っ!!」と、これは男性の声。いやはや、私は建山のふがいなさにちょっとムッとしていたのですが、これではとても野次れません。もう、ひたすら最後まで人々と一緒に、メガホン(?)を叩きながら応援し続けていました。
 ファイターズ、すっかり地元に溶け込んだみたい。単なる“新庄フィーバー”や、ダルビッシュの話題性なんかだけではなかったのですね。

 もっとも、後で、ずっと離れたセンター寄りの所に席をとった同僚に聞いたら、そこでは結構色んなヤジも飛んで、うるさいくらいだったそうですが…。でも、全体としては、かなり気のそろった、力の入った応援だったと思います。
 それにしても、あれからそろそろ一と月。あの日散会する時には、みんな「また絶対来ようね!」と言っていたのに、最近はちょっとテンション下がり気味で、“今度はいつ?”と話題にする人もなし…。いいかげん、勝つようにしませんとね、ヒルマンさん!

その2─『交渉人 真下正義』を観にいってきました!

 これも、行こうと思ったきっかけは、去年の、同僚の人からの話でした。
 その方の娘さんが、ある夜、地下鉄の豊水すすきの駅(か、大通駅の東豊線側かのどちらか)に来かかった時の事。黒装束で銃を持った、ものものしい一団が、改札附近からわらわらと走り出て来て、一瞬、“な、なに?”と、ものすごくビックリしたそうです。それがちょうど、『交渉人…』のロケだったというわけ。特殊部隊役の俳優さんたちも、エキストラの人たちも、気合い充分で、すごくリアルな感じがしたそうです。

 ロケ地が札幌の地下鉄という身近さに加え、それを見た人がまた身近にいる人(の家族)だったという親近感。それに何より、〈踊る大捜査線〉からのスピンオフ(独立篇)だという事。これは“ゆかねば”と思いました。シリーズは、映画版も含めて、テレビでひととおり見ていましたしね。

 そこで、割引券を手に入れておいて、少し早くに退勤できた日に映画館に行ってみましたが、これは期待にたがわず!見応えがありましたね〜。映画の前作“レインボーブリッジ篇”が、前半、アソビを入れすぎて散漫になっているのに比べると、こちらの方が、話術そのものにずっと緊迫感があります。
 話題の地下鉄ロケシーンは、結局、神戸・大阪・茨城・札幌の4ヶ所で撮ったとのこと。映像スタッフはなかなか上手に、東京の地下鉄に見えるように画面の統一感を演出していましたが、それでも、やっぱり、狙撃班が改札機を抜けてゆくところやホーム階段を下りてゆくところで、(おっ、東豊線だ (^-^))とわかるカットがあってニッコリ。あたりからも、(あれ東豊線だよ)(あれそう…)といったヒソヒソ声が伝わってきました。

 スクリーンいっぱいに、狙撃班がガガガガッとこちらへ向かって来るシーンは、迫力満点!(この絵→は全然迫力ありませんけどね。まるで鞍馬天狗ごっこ。しかも一番前の帽子の人が、草壁中隊長こと高杉亘さん(俳優)だなんて…申し訳ない)
 それと、まだこれから観に行きたいと思っていらっしゃる方々も多いと思うので、くわしくは書きませんけれど、〈踊る〉の監督・スタッフの方々は、本当に、都市伝説が…というより、東京の街が好きなんですね。変わったり、動いたり、それ自体巨大な生き物みたいな大きな街が。ガンダムのザクに激似の車両〈クモE4-600〉も存在感ありましたが、この映画の本当の主役は、まさに〈東京〉ですね。
 もちろん、ユースケ・サンタマリアさんも、日本のこの手のものとしては多分初めてぐらいの、ソフトで構えないキャラクター〈真下〉を創って、好演していましたよ。

 ただ、一つだけ不満をいうと、地下鉄総合司令室のシーンで、カメラの視点位置がやたらクルクル回っていたこと。要するに、人物は中心におさまっているのですが、角度がかわって、背景の方がやたら回るのです。また、上から下へと視点が降りてゆく、というカットもけっこうありました。特に前半など、ピタッと止め絵になっていることの方が少なかったので、見てるうち、何だか酔いそうになっちゃったのです。テレビ画面でなら、あまり気にならなかったかも知れませんが…。せっかくお話はいいんですから、観客は大画面で見ているってことを、ちゃんと計算に入れてください、本広監督!



第22回(2005/05/06)

○『電車男』・純愛・武者小路

 〈2ちゃんねる〉掲示板の一つから誕生した、一風変わった形式のストーリー、『電車男』。6月4日頃には、早くも映画版が公開されるようですね。私も、昨年暮れ頃手にとり、笑いながら楽しく読みおえました。そして、すぐ思ったのです。(しかし、この〈電車〉君の心の動きは、まるで…そう、「お目出たき人」だ!)と…。

 でもその時は、“武者小路作品を連想したのは、私が昔からよく読んでいたせいだろう”と思い、自分の感じ方についてはあまり気にとめませんでした。
 それが、つい昨日、NHKの番組「名作平積み大作戦」の予告編を見たとき、書店での武者小路作『友情』のポップに「86年前の名作に電車男発見!!」というような惹き文句を見つけて、大喜びしてしまいました。(どうやらこれは、その番組のプレゼンター・高橋源一郎の考えた推薦文らしいのですが。)やっぱり、同じような連想って、あるものなんですね。

 一方、今年の3月頃、ヘアサロンで『an-an』をめくっていたところ、〈心のときめき、失恋の痛手、 甘くて苦しい恋愛小説43〉という特集が目についたのですが(2月2日号・No.1449)、その中でなんと、うら若き女性ライターが、おすすめ純愛小説として武者小路の『愛と死』(今手元に雑誌はありませんが、確か、そうでした)を挙げていたのです。なんといっても、『an-an』ですから!以前だったら、最先端で、ファッショナブルで…といったイメージを売りにしているこの手の雑誌に、武者小路実篤の名が登場するなんて、考えられもしませんでした。(『サライ』とかでは、時々見かけましたけど。A(^_^;) )

 かたや、片思い応援ストーリーにして、現代の“毒男(※独身男をあらわす「2ちゃんねる」用語)”のメルヘン・『電車男』。かたや、“冬ソナ”“セカチュー”大ヒットで再評価されつつある〈純愛小説〉。別々のところから生じた動きのはずなのに、どちらをたどっても、シンクロニシティ(同時性)的に武者小路実篤につながってゆくのが面白い。しかも、昔の〈白樺派〉をほとんど知らず、文学ブームなんて過去となった時代に育った人たちが、「これいいね」という感覚で武者小路の作品を手にとってくれるなんて…。ひょっとして武者小路実篤、時を越えてひそかにブレイクの予感、かも?

 なんて、冗談めかして言っていますが、実際、可能性は高いのではないでしょうか。武者小路の、自分の〈恋心〉に、まるで拡大鏡をかけて、時間にすればほんの一瞬の情景・一瞬の心のゆらぎをも最大もらさず書こうとしているような表現は、今でも、その新鮮さを失っていません。しかも、その頃は、学校でも、口語文など習わない時代です。自然主義など言文一致文体の小説が増えてきていたといっても、全体にはまだまだ美文調が主流。飾り気なくスパスパと言い切るリズム感の良い文体は、武者小路が編み出したものですが、仮名づかいを別にすれば、これが100年近く前の文章とは思われないくらいです。

 一時頃目覚む。
 自分は悲しく思った。余りだと思った。はがゆく思った。どうかしたいように思ふ。自分は涙ぐんだ。

 自分は足かけ五年前から一日も彼女のことを忘れたことはない、これは自業自得である。この罪は自分にあって他人にあるのではない。しかし自分は自分を憐れまないではゐられない。かくまで目出たく出来てゐる自分を憐れまないではゐられない。

 彼女を恋し始めたのは三十○年九月である。それから満三年半たってゐる。この間自分は何時でも彼女と結婚したい、結婚しなければいけないと思っていた。
 さうしてその裏には彼女の為にもそれがいヽことだと信じてゐた、彼女もそれを望んでゐるやうに思はれた。

 馬鹿だ/\かくまで自惚れる自分は馬鹿にちがいない。

(「お目出たき人」明治四十四・1911年)

 この武者小路だけでなく、白樺派の小説は、特に初期の代表作には、いわば〈毒男〉の切ない恋心を描いた作品が多いのです。志賀直哉の「大津順吉」。少し後年の作ですが、「赤西蠣太」や「暗夜行路」の前半部。長与善郎の「盲目の川」など。それから、広津和郎に絶賛されたという園池公致(きんゆき)の「一人角力(ひとりずもう)」。これは、会ったこともない見合い話の相手(それも一度は自分で断っている)を、ほとんどクヨクヨしていると言っていいくらい一人で思い続けているという、おかしなプロットの作品なのですが、それが不思議と、淡々とした筆致で描かれています。

 彼らの作品のいいところは、中途半端に視点位置を女性の方に動かしたりせずに、主人公の一喜一憂の方に、徹底して焦点を合わせている点でしょう。思いの深さが伝わっているのか、いないのか。それ以上に、自分が彼女を恋する資格があるのか、ないのか。女性のちょっとした仕草や言動に、天国から地獄の底まで動揺する男ごころ。失恋すれば大泣きに泣き、第三者にあいだを裂かれれば猛烈に憤(いきどお)る…。

 小・中・高一貫の男子校生だった彼らにとって、所詮、女性は異世界の存在。しかし、年頃になると、やっぱり自分もそんな“未知なるもの”に、全身全霊を挙げるような〈恋〉をするようになるなんて、それ自体が驚きの体験だったに違いありません。そうした彼らの表現が、あまり古めかしさを感じさせないのは、変なテーマやイデオロギーのフィルターなどかけずに、その時点の自分に忠実になって描ききっているから。時にはバカな事をしようとも、考えようとも、飾らず率直に…。
 本人たちは、特別〈純愛〉を描こうと思ったわけではないでしょうし、そんな言葉は一度も使っていませんが、その熱意の込め方と真っ正直ないさぎよさは、まさしく〈純愛〉の王道といった感があります。おそらくそうした所に、現代の読者も、思いがけず、自分の似姿を見出したり、理想像を見てとったりするのかも知れません。

 さて、締めくくりにもう一ヶ所ご紹介しておきたいのは、「お目出たき人」のクライマックス。主人公の〈自分〉が、遠目から見て想い続けていた女性・〈鶴〉のそばに、もっとも近づく事ができた場面です。ここは電車がらみのシーンなので、『電車男』をご存じの方は、〈電車〉君の書き込みを思い浮かべながら読むのもまた一興でしょう。

 電車が大久保につく時、自分はこわ/\プラツトホームを見た。六七人まってゐる人があった。その内に若い女が一人ゐた。鶴じゃないかと思つてゐる内に電車は益々近づいて止った。

 鶴だった!鶴はこの瞬間に自分に気がついたらしかった。後ろから乗らうとした足がこの時ピタッと止つた。鶴は引きかへして前から乗った。自分と見合った時、目と目があった。鶴は赤い顔して目をそむけた。さうして自分の腰かけてゐる右側に三人の人がゐた。(中略)

 優しい、美しい、さうして表情のある顔、生々した目、紅の口唇、顔色もいヽ、自分は鶴の顔をもっとはっきり見たいと思った。しかし間にゐる人が邪魔になる(中略)

 自分は電車をおりると二人を逐(お)ひこした。さうして改札口を鶴について出やうとした。しかし鶴は改札口に達した時一寸後ろを見た。自分を見た。さうして身体を少し右によせて自分に先にいらっしゃいと云はぬ許(ばか)りの態度をとった。自分は夫の権威を以ってさきに出た。しかし自分の心はあがってゐた。切符を改札掛に渡さうとして落してしまった。自分は落ちた切符をたヾ眺めて改札掛の拾ふのを見て、なるたけ落ついて停車場を出た。(中略)

 自分は段を上りきる前に又ふり向いた。鶴は静かに自分の歩いた所を歩いてくる。自分は登りきって右に折れて麹町通の方へ行った。ふり向くと鶴は段々を上りきって未だ自分のあとをついてくる。自分はもう夢中だ、嬉しい。
『お鶴さん』と声をかけたい程自分は親しさを感じた。さうしてさう声をかけても鶴はおどろかないで、
『なに御用?』と笑ふやうな気がした。自分は電車道をよこぎって麹町通の左側を通った。鶴は電車通をよこぎらずに右側を歩いてくる。

 自分は何度ふり向いたか知れない。その都度、鶴と顔をあはせた。あはせるとあはてヽ自分は顔を元にもどした。鶴も顔をそむけたやうに思ふ。
 自分は鶴が自分を愛してゐてくれたと思はないではゐられなかった。自分の心は嬉しさにおどった。

 …ところで。『白樺』の仲間たちが、もしも現代のようにインターネットを使う事ができ、互いの作品の読後感をリアルタイムで〈カキコ〉できるような“白樺掲示板”を持っていたとしたら?
 それはもう、こういうシーンのあとなんかは、「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」どころの騒ぎじゃなかったはず。みんなしてアスキーアートを駆使し、大いに騒ぎ、あおりたて、そして最後は一緒に涙したことでしょう。きっと、当の武者小路がメーワクするくらい…ね。


※引用:新選・名著復刻全集 近代文学館 『お目出たき人』(日本近代文学館・ほるぷ出版 1972年)



第21回(2005/03/22)

 今回は、「木精の歌」のUpのため、集中力を使い果たしました…。そこで、簡単に近況のみ。

 今年の雪は、2月頃になってから、まるでラストスパートとばかりにせっせと降ったので、家のまわりも街中も、まだ雪が山ほど残っています。それでも、ここ1週間ほどは、それなりに気温が高かったり、雨が降ったりしましたので、ようやく、かさが減って来ています。

 でも、いつもは、3月最後の週末か4月はじめの週末が、ちょうど毎年“ふきのとう”を摘む時期なのです。 ことに、学校時代は、その頃が春休み。風の寒さに、つい家の中にひっこんでいて、4月はじめの週末にふきのとうを摘みそこなうと、もう学校ははじまってしまって、ウィークデーに取りに行くのはムリ。で、その次の週末にゆくと、もう茎が伸びすぎてしまって、(あぁぁ…これじゃあ、もう食べても美味しくないし…)と、がっかりするのが常でした。
 それが、今年は、雪が積もりすぎていて、今週末にふきのとうを取るのはまず不可能。4月2、3日の週末も期待薄です。それまでによっぽど、日射しのいい日か雨の日が続かないと…。

 先日の、仕事先での会話。先週の半ばは、またけっこう札幌で雪が積もったので、「どう?もう一回雪まつりやろうか?」実際、雪だるまなんか作ったら、全部とけてなくなるまで、まだ相当時間がかかりそうだし…。

 けれど、ほんの少し嬉しいきざしも。昨日、玄関先に出たら、花壇の端の、雪が先にとけたところから、小さいオレンジ色のクロッカスのつぼみが出てきていました。深い深い、雪の洞窟の底でうんざりしていたのが、ようやく外気を感じたので、急いでつぼみを色づかせたという感じでした。どんなものでも、やっぱり、春は待ち遠しいんですね。



番外(2005/03/08)

 気持ちとしては何とか早くしたい更新、でもなかなかままならないのが更新。つづきものは遅れに遅れていますし、3月の上旬まで丸1ヶ月、トップページの体裁も更新できなかったという有様。
でもこれは、個人で、しかも単独でホームページを開いている方には、よくある悩みではないでしょうか?

それに、2月の末までは、目一杯勤めが忙しかったので…って、はい、言い訳に過ぎません。ようやく【風のたより】等で話題を一つ二つ紹介出来たので、安心してしまった私も悪かったのです。

いまは初心にかえって、ひたすら、つづきものの執筆に取り組んでいます。もともと、去年、勤務生活に復帰する時、“まずは来年の夏まで、細々とでも書き続けている事が出来たら、それはそれで大したものじゃないか”と思ってはじめたことなのですから。
実篤さんだってよく描いている、だるまさんと〈七転八起〉。といっても、人生はとかく〈九転八起〉、スベッたかたちになりやすい。でも、ともかく、転んでも、転がりながらでも、前には進もうと思っています。がんばるぞ!

というわけで、まずは「木精の歌」第3回、近日Upの予告です。ばりばり書いています(手をつけるのが遅かったの!)。必ず近々Upいたしますので、どうかお気を長く(泣 (;_;) )お待ち下さいますよう。
〈風のたより〉番外としての近況でした。

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