【風のたより(3)】by
銀の星
・11回〜15回まで('04/06/16〜'04/09/09)
第15回(2004/09/09)
今回は異例ではありますが、話題割りこみで、本当の〈風のたより〉をお届けします。
昨日の台風18号、北海道での大風のニュースは、皆様お聞きになったでしょうか?
私の住んでいる所では、幸いにも、深刻な被害は出なかったのですが、今日札幌に出てみて驚きました!あちこちで木がボキボキへし折れています。特に、大通り公園・中島公園・北海道大学など、樹木が多く絶好の散策スポットとして人気だったところは、被害甚大…。瞬間最大風速50メートル超の猛威の痕です。
画像はすべて、中島公園での写真です。一時代前の画素数の少ないカメラ付き携帯で撮ったので、画面がボンヤリしていて申しわけありません。でも、臨場感は多分今日が一番あると思いましたので…。
上↑は、大きな木が根こそぎ倒れている様子。右→は、公園の散歩道を倒木がふさいでいる有様です。
左←は、池の端の大木が倒れて、池の中にのめっている様子です。かろうじて立っている木も、風に激しく巻かれてよじれてしまったのがおわかりになるでしょうか?
右→の写真。この銅像(右端)は、もともと、こんもりとした木々に囲まれていたのですが、それらが倒れてしまい、周囲がガランとなっています。倒れている太い幹、もしも角度がちがっていたら、銅像を直撃してしまっていたかも…。
このほか、大枝小枝が折れたのは数知れず。最終的に大きな倒木までが撤去されて、落ち着いた風景が戻るまでには、きっと何ヶ月もかかることでしょう。それに、各所でシンボル的だった大きな木・きれいな木が何十本も倒れてしまっていますから、たとえ片づけが終わったとしても、もとの景色はもう戻らない…。
これで大雨が降らなかっただけが、不幸中の幸いだったのでしょう。台風というよりは、超大型の竜巻に襲われた後のような感じでした。
ところで、こんなひどい状況の中でも、白樺の木って強いんですね!(←左)あんなにすんなりと細い木だから、きっと何本かは折れてしまっただろうと、痛ましいような気持ちで公園を一巡りしたのですが、どこのもまったく大丈夫でした!『白樺』研究をやっているだけに、何だかうれしくなりました。きっと、偶然なのでしょうけれど…。
第14回 (2004/09/02)
このタイトルではありませんが、本当にこの夏後半は、風にまつわる話題が多かった。
まず、甲子園での駒大苫小牧旋風。(これは心からウレシイ! ♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪)それから、次から次へ、まるでこれでもかというように上陸する沢山の台風。
そして9月、台風が抜けていった二百十日の朝に、今度は、風を切りホウキで空を自由自在に駆け回る、ハリー・ポッターの再登場です。
ちょっと話がこじつけかな?でも、つい先日の8月28日、駅の改札口のすぐそばで、ハチマキ・メガホンの売り子さんが「緊急出版!駒大苫小牧、甲子園熱闘ドラマの写真集です!いかがですか!」と叫んでいたのですが、今度はそれとまったく同じ場所で、ほぼ同じ格好で、「ハリー・ポッター第五弾!ハリー・ポッター!『不死鳥の騎士団』はいかがですか!」と声をはげましていたのですから…。どちらも早朝の出勤時、ごくろうさまだなぁとつい可笑しくなって、笑い顔を見られないようにうつむきながら、早足でその場を通り過ぎたのでした。
ところで、私も、第3巻目くらいからの途中参入ですが、ハリー・ポッターの愛読者の1人です。原作者ローリングさんの構想力の大きさとか、毎巻かならず1つ〈謎解き〉の要素を加えつつ、それをさらに全編をとおしての謎につなげてゆく話術の巧みさとかは、すごいものだと思っています。予告したラストまでテンション維持で頑張れー!と、陰ながら心の中で応援しています。
でも。それでも、いつも読了したあとに、あるいは映画を観たあとに思うのです、“私にとっては、ホグワーツ魔法魔術学校より、やっぱり明治27年から41年までの学習院がおもしろいな”と。敢えて時代を限定していますが、これは、学習院に寄宿舎がなかった期間です。
この期間は、割合鷹揚(おうよう)な院長さんが続いたこともあって、学習院に入学するのは、公家・大名などの家柄華族ばかりに限られてはいませんでした。基準は一応あったのですが、ボーダーがゆるやかで、いろんな地方から上京してきた旧士族や、学費さえ払えるのならば平民の子弟でもぜんぜんOK。いちじは(明治30年代半ばには)士族平民の方が華族の人数を越すかと思われたほど、身分階級ごたまぜの不思議な学校だったのです。そして〈白樺派〉の人たちは、全員この時期に入学・転入してきた人たち。いわば、誰が〈純血〉で誰が〈マグル出身〉かどころじゃない、魔法使いもマグル(平凡人)もいっしょくたに通っていたようなものなのです。
しかも様々な能力の高さで言えば、別に華族が純血で、士族平民がマグルだというわけではない。逆のケースも沢山あって、それらが複雑に混ざり合っていたのです。
それに、『ハリー・ポッター』ならば、ある日ハグリットが現れて“おまえは魔法使いだ”と告げてくれるわけですが、彼らにそんな事を言ってくれる人はいません。自分が、今いったい、同時代・同世代の中ではどんなすごい事をやっているのか、あるいはいないのか。また、変わり種の友だちは周りに沢山いるけれど、各々がどんな特殊才能の持ち主なのか、それもよくわかっていないわけです。とまどいもするし、迷いもする。自信がゆらいだりもする。でも友だちになっていくその過程で、まるで、普通のマグルでもいつのまにか魔法が使えるようになっちゃった、という感じの変化が、それぞれの人にどんどん起こってくるのです。こういう点が知れば知るほど、何ともダイナミックで面白い。
だからこの研究、やめられないなぁと思うのです。
第13回 (2004/08/01)
あつ〜い!皆様、この連日の暑さの中、本当にいかがお過ごしですか?
なんて、私がネを上げていては、申しわけないと思うのです。本州には、6月からほとんど真夏日、という地域もたくさんあるわけですから。
でも、まったくたまりませんね、この暑さは。なんせ、大型台風が、南の方から湿っぽい高気圧を押し上げて来た“本場もん”の熱波なだけに、これまでの暑さとは暑さが違う。ここ4日間、窓でも開けなければとても寝られない暑さが続いていますが、こんな事はまったく初めてです。
つい2、3日前なんか、札幌から帰ろうと、地下街を出てJR駅のホームへ向かったら、改札口附近からすでに“むあ〜〜〜〜〜っっっ!!!”とした空気がよどみ、ホームにはドライヤーなみの熱風がうずまいていて、衝撃をうけました。北海道の夕方だというのに!どんなに暑い日でも、日が暮れればサラサラと涼しい風が吹くというのがこの土地の良さで、だからこそ冬のドカ雪もたえて来られたというのに…!(T_T)
今、こうして文章を打っていても、ノートPCなものですから、手首のあたりがバッテリーの熱で熱くなってきて、たまりません。仕方がないので、ぬれタオルで時々手首や顔を冷やしながら作業を続けていますが、もういい加減、そろそろ秋の気配ぐらいやってこないものでしょうか。
(←夏のオバケ…ではありませんです)
第12回 (2004/07/03)
今回から挑戦しておりますのは、当HP初の〈連載〉の試み!
正直いって、ちょっと内心ドキドキです。続かなかったらどうしよう。また、途中で話が変な方向へそれてしまったら、結論がつかなかったら…?
でも、これから、生活サイクルが変わりそうだという、私の側の事情もあります。今までのように1本全部書き上げてからUPするという方法では、へたをすると、間がどれだけ空くか知れません。それよりいっそ連載にして、少しずつでも書ける事から積み重ねてゆくようにすれば、まさか半年1年と、更新が果てしなく伸びてしまうこともないだろう…。そんな風に考えて、この度、思い切って方針を変更する事にいたしました。どうか皆様、お心の中だけででもご声援下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。m(_
_)m
ところで最近、意外に思う事があります。それは、文中にイラストを入れるようにしてから、アクセス数が確実に増えたこと。あれは不思議ですね!新しい絵を加えると、なぜかその度に、アクセス数の増加率がちょっとだけふえるのです。新しい絵があるかどうかは、まず“アクセスしてみなければ”わからないはずなのに…。もし仮に、ご厚意で当HPの事をご紹介してくださる方がいらっしゃるとしても、まさか、絵が一つづつアップされるたびにアナウンスしてくださっている、などとという事はないでしょう。う〜ん、ミステリーです。私にとっては、とても嬉しいミステリーですが。
ああ、でも、輪郭のシャープな、スッキリした絵を描いてみたい!最近、ようやくペンタブレットの要領が呑み込めてきましたが、描線のコントロールはまだまだです。
モンキーパンチさんがかなり前からパソコンで作画していたことは有名ですし、数年前にもパソコン雑誌で、里中真智子さんがイラストの描き方を指導するというコーナーを読んだ事がありますが、本当にどうして皆さん、あんなに繊細かつビビッドな絵を描けるんでしょう……。HP用のいわゆる〈素材屋〉さんの作品を見ても、やっぱり痛切にそう思います。(上の七夕のカットも、とても素敵ですよね。)
いずれは、ちょっとした壁紙素材なども、自分用に作ってみたいのですが、それはどれほど遥かな将来になりますことか…。
『白樺』同人の児島喜久雄は、自分の息子がまだ小学2年なのに、もう透視画法を教えようとしてポロポロ泣かせていたという事ですが(そんな無茶な)、でも、そのくらい確かな絵画の教養とよく動く手とを持っていたらなぁ…と思ってしまう今日この頃でした。
(参考:児島光雄「父と私」 岩波書店『図書』1956年7月)
第11回 (2004/06/16)
自分で脚本こそ書かなかったけれど、志賀直哉の映画好きは、明治以来の年期が入ったもの。もう晩年に近くなってからも、阿川弘之あての手紙に「仕事から解放され、徹底的に遊んでゐる、目茶/\に映画を見るので渋谷の映画館を今週は総て見て了つた」(阿川弘之『志賀直哉』)と書き送るぐらいだったのですから。それで阿川氏に、「…などとあるのは、ずいぶん下らないものまで見ている証拠であろう」なんて書かれてしまっています。
また、北杜夫も、志賀直哉の印象として、「…一同で遠くの寺を見学にいったとき、その近くの電柱に貼られているいかにも三流映画らしい時代劇のポスターを(志賀)先生が車中からご覧になって『おっ、これはまだ見ていない』とおっしゃったとき、どういう訳か『これは偉い人だ』と思ったことを覚えている」と記しています(同書・新潮文庫版解説)。
…と、そういう志賀直哉のエピソードに力づけられた、というわけでもないのですが、私も何年かぶりに、映画館にいってきました。(強引な前振りですみません。)つい先日、平日に空き時間があったので、突然、シネコンのモーニングショーでも見てこようか、という気分になったのです。目指すは〈札幌シネマフロンティア〉、そしてお目当ては…『キューティーハニー』と『天国の本屋〜恋火』でした。
チケット売り場で、「『キューティーハニー』一枚下さい」と言ったら、売り子のお姉さんが、え?という風に目を見開きました。私も一瞬“あれ、何か変?”と思ったのですが、ふと後ろをふりかえると、なるほど。その時間帯に来ている女性客は、ほとんどみんな、『世界の中心で、愛をさけぶ』の方に入ってゆく人ばかり。
…そうなんだ。でも、朝の早よから“愛をさけぶ”のは私のシュミじゃないし…と思いながら、「それと『天国の本屋』を一枚」とつけ加えると、売り子さんはやっと、納得したという顔つきで、チケットを渡してくれたのでした。(なお、この2本は、この時同じ上映室で、2本立てでした。)
上映室に入ると、私の他にお客さんは6人だけ。
けれど、やっぱり映画はエンターテインメント。モーニング上映でゆったりキューティーハニー、これぞ映画鑑賞の王道でしょ。そう心につぶやきながら(ちがうとおもうぞ〜
A(^-^;) )、大きな椅子に体を沈めました。
さて『キューティーハニー』の方は、主演はもとより、怪人たちの演技にも熱が入っていて、楽しい仕上がりでした。庵野監督のいわゆる〈ハニメーション〉、俳優のポーズをコマ撮りして劇画風にリタッチし直すという手法は、なかなか斬新。これから、色んな映像表現に、さり気なく取り入れられていくのじゃないでしょうか。
とはいえ、ラストだけは、“こういうクライマックスなら、アニメ映像の方がずっと、表現力があったのに…”という感じではありましたが。
しかし、何といっても見てよかったのは、『天国の本屋〜恋火』です。何しろ、音楽が素敵!
こういう物語は、えてして、主人公の職業設定なんてただの添え物で、恋愛模様ばかりに話が集中してしまいがちですが、この映画では、小さなメロディが、ピアノ組曲にまで織り上げられてゆく過程が、たんねんに描かれています。ですから、セリフであまり好きだの愛しているだのと言わせなくても、青年ピアニストと、ピアノを断念した天国の女性の心が、強く結びついてゆく様子がしっかりと感じ取れるようになっているのでしょう。上質な、大人のファンタジー…。ちなみに、音楽担当は松任谷正隆さんでした。さすがですね。
それと、もう一つ嬉しかったことは、この映画、〈天国〉も〈地上〉も、北海道の西側がロケの中心だったという点です。
名所が舞台ではありませんから、どの景色も、写真やTVで見なれたものではありません。郊外にはよくありそうな、普通の風景が映っているのですが、真っ直ぐにのびた道や、風にそよぐ草や木々の葉、そして古いトタン屋根の家々…どれもなんだか、デジャ・ヴュという感覚…。上手く言えませんが、“空気感”が懐かしいのです。で、エンディングで確かめましたら、ロケ協力のところに、小樽・石狩・江別・札幌という文字。やっぱり!近場だったんだ、と納得。ほかには、手塩・当別・増毛・室蘭・留萌・豊富・穂別等の地名も上がっていました。
「〈天国〉って、実はすぐそばの町にあったんだよね」と、映画を観てから、つい自慢したい気分になってしまったのでした。
|