〈親子〉の距離 ─〈父〉と〈息子〉と有島武郎─ (2004/01/28)


3.有島の児童文学 ─彼の中の〈子供〉─
(1)「一房の葡萄」
(2)「溺れかけた兄妹」
(3)少年の〈罪〉
(4)〈父親〉に対する秘密

3.有島の児童文学 ─彼の中の〈子供〉─

(1)「一房の葡萄」

 童話集『一房の葡萄』の広告には、このような文章が記されていました。

 子供の慾念、秘密、悲しみ、喜びを子供と共にわかちたいといふのが望みだと著者はいつてゐる。子供の空想や、知識慾や、冒険的傾向に訴へた童話は多いが、この著の如く子供の實感を子供になり代つて書いたものは恐らくはないであらう。

 ここでの〈子供〉は、一般的な幼児・少年の事だったでしょう。しかしその一方で、有島武郎が創作童話を書こうとした動機の内には、自分の子供に読ませたいという意識が強く働いていたようです。
 初版本の扉には、「行光 敏行 行三へ 著者」と、三人の息子たちへの献辞が記されていました。また、発行当日の彼の日記には、「帰家したら「一房の葡萄」十五冊が来てゐた。表装中々よく出来てゐる。子供三人が大変静かだと思つたら、熱心に読んでゐてくれるので、大変うれしく思ふ」(大正11年6月17日)と書かれていたそうです。
 “喜びも悲しみも、自分の血を分けた子供たちとわかちたい。”これ自体は、人として、ごく普通の心情だと思われます。

 ただ、有島武郎の場合、そこに〈慾念〉や〈秘密〉という要素が入って来るようです。子供が抱くネガティブな心情。誰にも語れず、幼な心に隠しておいた想い…。そうしたものを、彼は〈子供〉たちと、共感的に共有したかったのだと思われます。それで、彼は敢えて、自分の創作童話の素材に、自分自身の思い出を選んだのでしょう。

 では、有島が子供たちと共有したかった心情とは、一体、どのようなものだったのでしょうか。



 例えば、代表作「一房の葡萄」は、このような作品です。
 少年が、他の子が持っている美しい色の絵具をつい盗んでしまい、同級生たちにとがめられる。でも、担任の女性教師の優しく適切な対応によって、少年は皆のつまはじきにならずに済み、絵具を持っていた子とも和解する。これが、大まかな話の筋です。ストーリーはシンプルで、語り口も、どこかしら『クオレ』など、海外の少年小説の翻訳を彷彿とさせます。そのためか、今読み直しても、時代色はあまり感じられません。
 しかし、背景となっているのは、横浜にまだ〈居留地制度〉があり、そこに外国人子弟の学校がようやく出来はじめたばかりという、かなり限られた時期のことです。平易な文章に惑わされてそこをスラスラと読み流すと、この作品のプロットを成り立たせている微妙な関係の綾を、見逃してしまう事にもなりかねません。

 武郎と妹の愛が通っていた〈横浜英和学校〉は、現在の〈横浜英和女学院〉の前身。明治13年(1880)にメソジスト派のミスH・G・プリテンが創立した学校で、武郎たち兄妹が通い始めたのはその4年後でした。彼らは、当時、横浜税関長だった父親の配慮で、英語に早く慣れるようにと、この学校に入れられたのです。多分、まだ制度も完備していない時期だったからこそ、武郎たちのようなナショナリティ(国籍)の違う子供を入学させる事にも、融通がきいたのでしょう。
 そして、実はそうした環境が、主人公=〈僕〉の“盗み”の動機に、複雑な影を落としているのです。

 〈僕〉が、同級生の〈ジム〉の絵具が欲しかった理由は、最初は単純に、美しい藍色(ブルー)と洋紅(スカーレット)の色合いに魅せられたからです。それだけならば、単に、よくありがちな、幼い子の“物うらやみ”です。
 ところが、その後、次第に、内心のやましさが増幅していってしまうのは、自分がその絵具を欲しがっている事を、〈ジム〉に見抜かれているように思いはじめてしまうからです。「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがひないから」と。〈僕〉は、子供ながら、屈折した被差別人種的意識を持っている、という設定になっているのです。

 ここは「西洋人ばかり住んでゐる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかり」。〈僕〉は、英語環境の中に放り込まれている少年です。ですから、この作品でのセリフも、すべて日本語で書かれてはいますが、実際はほとんど英語だったはずです。
 子供ですから、少し慣れれば、会話を交わすくらいはすぐ出来たでしょう。しかし、少し離れた所のクラスメイトがささやき交わしている言葉を、すべて聞き取れたとは思えません。〈僕〉自身、「でもその笑つてゐるのが僕のことを知つて笑つてゐるやうにも思へるし…」と、それが〈疑い〉である事を認めています。でも、“何を言われているのかわからない”という疎外感が、〈疑われている自分〉像を造り上げてしまうのです。
 まだ日本が居留地制度を解除していなかった時代、日本の中で、西洋人は、数の上ではマイノリティのはずでした。なのに、或る学校の中では、その関係が完全に逆転してしまっている。
 また、〈僕〉にとって、〈ジム〉の絵具は“舶来の上等の絵具”ですが、ジム少年の意識の中では、おそらくそれは〈舶来〉でもなんでもなく、本来自分が属している世界のものです。見せびらかしている気さえ、彼にはなかったかも知れないのです。
 もしかすると、〈僕〉の妬ましさは、絵具そのものにだけではなく、そうしたジムと自分との間の、のりこえ難い隔絶感にまで向けられていたのかも知れません。

 作品の語り手(大人となった〈僕〉)は、少年の盗みの行為よりも、“絵具が胸が痛むほどほしくなった”、その〈慾念〉の葛藤にはまりこんでゆく過程の方に、むしろ重きをおいています。──自分の邪(よこし)まな気持ちを知られてしまっているかもしれないと思った時には、すでに〈罪〉は生じている──と。その意味では、語り手の方が、盗みをとがめ立てしたクラスメイトたちよりも、はるかに、〈罪〉に対する観念は厳格だと言えるでしょう。  

(2)「溺れかけた兄妹」

 また、有島には「溺れかけた兄妹」という童話もありますが、これは「一房の葡萄」よりも一層、スリルと葛藤が強く前面に出ている作品です。

 「九月にはいつてから三日目」に、13歳の〈私〉と、14歳の友人〈M〉と、11歳の〈妹〉が海に行った時の話です。3人は、“波が荒くなって来るから行かない方がいい”と祖母がとめるのも聞かず、夏の〈お名残(なごり)〉に泳ぎにゆきます。はじめは楽しく波を越す遊びをしていたのですが、とうとう大きな波に引かれて、足の立たない所にまで流されてしまいます。

 所がどうでせう、私達は泳ぎをやめると一しよに、三人ながらずぼりと水の中に潜つてしまひました。水の中に潜つても足は砂にはつかないのです。私達は驚きました。慌てました。而して一生懸命にめんかきをして、やうやく水の上に顔だけ出すことが出来ました。その時私達三人が互に見合せた眼といつたら、顔といつたらありません。顔は真青でした。眼は飛び出しさうに見開いてゐました。(中略)

 御覧なさい私達は見る/\沖の方へ沖の方へと流されてゐるのです。私は頭を半分水の中につけて横のしでおよぎながら時々頭を上げて見ると、その度毎に妹は沖の方へと私から離れてゆき、友だちのMはまた岸の方へと私から離れて行つて、暫らくの後には三人はやうやく聲がとゞく位お互に離ればなれになつてしまひました。而して波が来るたんびに私は妹を見失つたりMを見失つたりしました。私の顔が見えると妹は後の方からあらん限りの聲をしぼつて
「兄さん来てよ……もう沈む……苦しい」
と呼びかけるのです。 実際妹は鼻の所位まで水に沈みながら聲を出さうとするのですから、その度毎に水を呑むと見えて真青な苦しさうな顔をして私を睨みつけるやうに見えます
(太字は引用者)

 妹が自分を睨みつけていたように〈見える〉。しかしそれは、救いを求める必死の形相だったのでしょう。それに、数え13歳のようやく泳ぎを覚えた少年が、土用波を突っ切って妹を助ける事など、まず不可能です。溺れかけた人間は、助けに来た人には反射的に強くしがみつこうとしますので、救助に慣れない人は、それだけでも危険にさらされます。“とにかく一刻も早く岸にたどりついて、大人に助けを求めなければ”という考えは、この場合にはベストの判断でした。しかし、にもかかわらず〈私〉は、その時の自分の内心に、〈ずるさ〉を感知するのです。

 私も前に泳ぎながら心は後にばかり引かれました。幾度も妹のゐる方へ泳いで行かうかと思ひました。けれども私は悪い人間だつたと見えて、かうなると自分の命が助かりたかつたのです。妹の所へ行けば、二人とも一緒に沖に流れて命がないのは知れ切つてゐました。私はそれが恐ろしかつたのです。何しろ早く岸について漁夫にでも助けに行つてもらふ外はないと思ひました。今から思ふとそれはずるい考へだつたやうです。
(太字は引用者)

 結果的には、先に岸に泳ぎ着いていた〈M〉が見知らぬ若い男に頼み込んで、〈妹〉は救われました。助かった〈妹〉は、〈私〉の姿を見ると、夢中で駆け寄ろうとしましたが、急に「ふつと思ひかへしたやうに私をよけて砂山の方を向いて」駆け出しました。「その時私は妹が私を恨んでゐるのだなと気がついて、それは無理のないことだと思ふと、この上なく淋しい気持ちになりました」

 その後、大人になってからも、その時の事を妹と語り合う時、妹はいつも〈あの時ばかりは兄さんを心から恨めしく思つた〉と言うといいます。 だとしたら、そうした妹の言葉が、現在に至るまで、語り手の〈私〉にやましさを覚えさせるのでしょうか?

 しかし、それが何度も話題に出せるということは、逆に言えば、妹にとってそのそのこだわりは、内攻する性質のものではないという事です。
 むしろ妹にとって、それはもう、兄と自分とが共有する最も強烈な思い出、という程度のものになってしまっているのかも知れません。しかし〈私〉は、独り、罪の意識を抱き続けています。

 “早く妹を助けなければ”という焦りと“でも一緒に死ぬのはいやだ。助けるのは他の人に任せよう”という打算。それが心の中で交錯した瞬間に、波間に見え隠れしている妹のまなざしが、まさしくその内心を〈睨みつけるやうに〉見えた。その心的な経験こそが、〈私〉にここまで、後悔の尾をひかせているのです。

(3)少年の〈罪〉

 もう一度、「一房の葡萄」に戻ってみましょう。
 少年は盗む、級友はとがめる、でも女の先生は少年を自分の部屋に待たせておいて、事態を円くおさめる。でも、この時、先生がどんな話をしたのかについては、実はまったく明かされていません。
 この〈テキストの空白〉がこの物語の重要部分だという事に着目して、かつて中村三春氏などは、〈「一房の葡萄」は、犯罪小説、あるいは裁判小説的童話である〉と述べたりもしました。※注3

 〈テキストの空白〉が、結局読者の“理想的な教育者像”によるイメージの補填をさそっている事に気づいた点では、中村氏は鋭い指摘をしたと言えます。でも、この作品を犯罪小説として読もうとしても、手口や動機を、改めて謎解きする余地はありません※注4。〈僕〉は、自分の側の問題については、すべて告白してしまっています。これは、むしろ、キリスト教的な〈告白小説〉の伝統を忠実に踏まえた作品といえます。

 さらに言えば、この少年は、盗みが見つかったから罪を問われたのではありません。この少年が裁かれる事については、〈語り〉の上では、発端からすでに自明だったとさえ言えるのです。彼が絵具を盗んでしまう、その日の語り出しはこうなっています。

 今ではいつの頃だつたか覚えてはゐませんが、秋だつたのでせう。葡萄の実が熟してゐたのですから。天気は冬が来る前の秋によくあるやうに、空の奥の奥まで見すかされそうに晴れわたった日でした。
(太字は引用者)

 〈見すかされそうな〉という言葉は、本来は、〈心の奥まで〉という言葉と組み合わせて使われる、一種の慣用表現です。少年が“空の奥まで見すかされそうな晴れた空”と感じた時に、その透けるような青い空のかなたに存在するものは?──
 この作品には、〈僕〉の立場からそれを説明する箇所はどこにもありません。しかし、元クリスチャンだった〈作者・有島武郎〉にとっては、そこはまさしく、“人間を超えた存在のいます所”だったでしょう。
 少年が“空の奥まで見すかされそう”と感じた時、彼の〈心〉は、空の彼方に居る神からのまなざしにもとらえられていたのでした。だから、少年の罪は、行為以前に、神の前には明白だったと考えられます。
 反対に、盗んだ瞬間からは、少年は、後悔と苦悩という“良心の懲罰”で苦しめられました。だから、彼自身は何もしなくても、先生に抱かれて思い切り泣いた事で、その罪を“赦された”のです。優しい先生の手は、描写の中で、マリア像を思わせる〈大理石のやうな白い美しい手〉のイメージに昇華されています。

 ここに、一つ、つけ加えておきたいのは、童話集『一房の葡萄』の挿絵に隠されたコノテーション(暗示)についてです。

 初版本の挿絵と装幀は、すべて有島武郎自身の手になるものでした。未来派の抽象絵画を思わせる、スタイリッシュな装飾画です。
 さて、「一房の葡萄」で〈僕〉が盗もうとした絵具の色の一つは、〈洋紅〉。そして、手や葡萄の房が抽象的に描かれた挿絵の中ほどには、斜めに〈scarlet〉(深紅色、緋色)という文字がデザインされています。〈Red〉ではありません。(なお、もう一つの色・藍についてはBlueと書かれ、絵のやや上方の目立たない位置に配されています。)
 一見、それは単に、〈洋紅〉を英語で表しただけのようにみえます。しかし、幼い頃から英語に馴染み、青年期には留学もしていた有島ならば、“scarlet crime”が〈極悪罪〉を表すことは、無論、承知していた事でしょう。

 小さい子の出来心など、どこにでもありそうな出来事です。語り口にも、それほど深刻さはありません。しかし、その一方で、有島は、昔の自分の煩悶を、幼いながらの、重い魂の罪の芽生えとして位置づけようとしていたらしい。彼の絵に嵌め込まれた〈scarlet〉という言葉のダブルイメージからは、彼の、そのようなスタンスが感じられます。

 内心の〈罪〉を、他人には隠し仰せていると思っている“自分”がいる。でも、それが他人に、あるいはもっと大きな存在に、見すかされていると感ずる瞬間がある。そして、その〈罪〉がつきつけてきた〈結果〉からは、自分は逃れることが出来ない…。
 それが、有島が少年の頃に感じた、最大の〈怖れ〉ではなかったでしょうか。

(4)〈父親〉に対する秘密

 この他、「碁石を呑んだ八つちやん(やっちゃん)」という作品も、幼い頃、赤ん坊だった弟とケンカしてちょっと眼をはなしたすきに、弟が碁石を気管につまらせて危険な状態になってしまった、その時の自責の念がテーマとなっています。
 また、「火事とポチ」という作品には、家の火事を真っ先に吠えて知らせてくれた飼い犬のポチが火事の後にいなくなり、しかもその事にしばらく気づかなかったという〈僕〉の後悔が、淡々とした筆致で描かれています。
 ポチはその後、大やけどを負った瀕死の状態で見つかり、結局死んでしまいます。この場合、死んでしまったのは犬ですが、「溺れかけた兄妹」や「碁石を呑んだ八つちやん」にしても、下の子が死んでしまう可能性は充分にありました。
 自分の心弱さや、ほんの少しの〈慾念〉が、恐ろしい結果を引きおこすことがある。結果はうまく治まっても、それは紙一重だ…。有島が自分の少年期をふり返って考えた〈子供の心の秘密〉とは、おそらく、そのようなものだったのでしょう。

 そしてもう一つ、非常に興味深い特徴は、作中で〈救い〉の役割を担っているのは、主に〈母親〉や〈お婆様〉、〈婆や〉〈女の先生〉といった女性陣であり、父親や男性ではない事です。
 例えば「溺れかけた兄妹」の青年は、妹を助けてはくれますが、少年の気持ちのフォローをする存在ではありません。また、「火事とポチ」の父親は、ポチを優しく介抱してくれますが、助ける事はできません。 そもそも、有島童話の場合、〈父親〉がストーリーに関わるケースはほとんどありません。
 言いかえれば、有島にとって、〈少年〉の心の罪は、〈父親〉(あるいは男性・父性)には絶対に見せられないもの。明かすことなど考えられないものであったと思われます。

 しかし、有島自身は、そうした子供の心の秘密を理解し、共感的に受けとめる父親でありたいと願っていた。それが、「子供の慾念、秘密、悲しみ、喜びを子供と共にわかちたいといふのが望み」だという言葉の意味だったのでしょう。

 では、現実の有島は、〈どのような父親でありたい〉と思いながら奮闘していたのでしょうか。 今度は、その事について、少し見てゆきたいと思います。

【注釈】

注3 中村三春「こどもの『声』  『一房の葡萄』の再審のために」
   『言葉の意志 有島武郎と芸術的転回』(有精堂 1994年)218〜239p

注4 中村氏は、「『僕』は(級友たちに)仕組まれた犯罪の中で自分の役割を果たしたに過ぎない。それは構成員を馴致する共同関係のあり方の帰結であり、そこでは超越的な善悪の基準は何の役にも立たない。〈盗み=悪〉の存在は、システム的な戦略の便宜である」(同上、231p)として、〈教育〉〈学校〉といった近代社会空間の制度性を“暴いて”います。しかし、“〈僕〉〈仕組まれた〉”とする解釈自体も、やはり〈僕〉の見え方のほうを先験的に中心化してしまう読み方の一例だと思われます。