緑の木もれ陽 (こぼれ話)

(1) 児島喜久雄は小泉鉄の叔父さん?



まだ、かなり以前、雑誌『白樺』の魅力にひかれて研究を始めたばかりの頃のおはなし。白樺派の人間関係も、なかなかわかりづらくて、文学全集や文学館カタログの年譜と首っ引きで資料に目を通していた時のことです。〈編輯室にて〉の中で、あれ?という記述を見つけました。

○小泉は何ぞといふと児島に小言を云はれる。児島は小泉の叔父さんだと云ふ事になった。
 (武夫の息子 ※おそらく志賀直哉)(『白樺』Vol.3No.3 明治四十五年三月) 

 児島喜久雄が、小泉鉄の叔父さん…? もちろん、からかい言葉だということは、すぐ気がつきます。でも、お互い、歳も近そうなのに…どうして?
 その頃は、私もまだ、学習院出身の白樺派を調べるのが精一杯で、そもそも何で〈小泉鉄〉が『白樺』に参加するようになったのかが分からない。児島喜久雄が、中等科のあと、学習院を出たことも把握していませんでした。ただ、六号雑記を読んでゆくと、児島と小泉って、仲良さそう…。どうしてだろう、と、ずっと心の片隅にひっかかっていたのですが、今回改めて調べなおして、納得!二人は、一高時代からの親友だったのですね。

ここで、文字通り“ケンカするほど仲がよい”二人のエピソードを、一つご紹介。掲載は、上の『白樺』と同じ号です。

○三會堂の事務所で児島の事を小泉が六号欄へ書かうとして大に論争した。小泉がペンを持って児島を脅迫すると、その事は児島の人格を疑がはすやうな問題なので児島は一生懸命に何んとか云って揉み消さうとする。そして手も足も出なくなって徒らに黒板の前に立って燕雀何ぞ鴻鵬の志を知らんやなぞと楽書をする。
 そのうちどうかした拍子に児島は勢いを盛り返えして、「小泉はも少し偉いかと思って居たがそんな事を六号に書かうなんてこれを西洋の絵かきに譬ふればパウルリート位なもので、ジンプリチハムス(※原文のママ)の探訪にも劣って居る。ベレスチャギンのチャギンにも当らない‥‥‥‥」などと逆に小泉を攻撃し出した。その時の騒ぎは大したものだったが会場の方に居た志賀が「向ふまでよく聞こえる」と云ったので一同閉口した。

(土耳古(トルコ)の隠居 ※おそらく園池公致)
※『ジンプリチシムス』は、当時、ミュンヘンで出版されていたユーゲントシュティールの雑誌。

 児島は、皆相当にウィットのある白樺派の中でも、随一と言われたほどの“皮肉屋”。話術にも長け、面白いエピソードも数々もっている人物です。だから親友の小泉にも、なおのこと心やすく、あれこれ“叔父さん”のように注文をつけていたのでしょうが、しかし小泉の方とて負けてはいなかったようです。周りの友だちも巻き込んで、ワイワイ騒いでいる様子が目に浮かぶようです。(それにしても、「児島の人格を疑はすやうな問題」って、何だったんでしょう?ちょっと興味をひかれます。)

余談ですが、この大騒ぎは、白樺第四回展覧会・ロダン展の最中の出来事。この記事から、展覧会会場の事務室にまで『白樺』の原稿を持ち込み、皆で六号記事などを書いていた様子もわかりますし、ロダン展会場には、時として、白樺同人の大騒ぎぶりが筒抜けだった事もよくわかります。この展覧会、今の私たちが想像するよりも、さぞかし賑やかだったんでしょうね…。(^_^;)
 また、ロダン展といえば、里見 弓享が会場係の朝起き当番を断ってまで、ローラースケートをすべりに行ったのも、この展覧会の間の事でした。当HPの「〈白樺派〉 on the street」冒頭も、どうか、ご参照下さい。

(by 銀の星 2003/08/04)